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        <title>EG宣言</title>
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        <description>小演劇初の完全無料演劇（EG)ワークショップ</description>
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            <title>実践編「脚本執筆準備」 （2）</title>
            <description>	本格的に脚本執筆に入った今、戯曲のこと、すなわちEGのことしか頭にありません。よって、ここしばらくは当EG宣言の連続投稿になる可能性をここに示唆しておきたい所存です。←「示唆」ってこういうときに使う言葉ではない気がしますが。さて、前回私リーダーが、その姿を見られたら絶対にこれ以上モテなくなる、というほどの執念でもってネタを抽出、分類している様を解説いたしました。それがあらかた終わったなら、いよいよそれらのネタを、以前当ワークショップで解説したシナリオの基本「三幕構成」に落とし込む作業が待っています。さてそこで難しいのは、これまで便宜上「ネタ」と呼んできたギャグ部分と、三幕構成との兼ね合いであります。ネタの文脈を切り捨てても三幕構成に落とし込むなら、その厳密性の度合いが強いだけストーリーの引きが強いものになるし、三幕構成をはずしてもネタが単体で笑えるかどうかにこだわるならストーリー全体としては不鮮明になる、ということがこれまでの実践と研究で明らかになっております。戯曲としての自己批判ショー作品は最終的には上記を高次元で両立すれば一応の完成をみるわけです。しかし皆さんご想像どおりそれは不可能とも思える課題で、実際実現した作品は歴史上無いとされています。しかしながら、どうせやるなら世界初のことに挑戦するのが、それ単体では儲かるはずのない小劇団でありつづける意義と捉えております。これが演劇（EG）全体にとっても価値ある挑戦であることは私も理解しております。しかしだからといって人にお勧めは出来ません。私と同じような人生、すなわちクリスマスイブにこんな脚本執筆ノウハウ解説文を書くような人生を送ること必至となるからです。続きはまた次回！よろしくEG！

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            <title>実践編「脚本執筆準備」</title>
            <description>	土曜日の日記で述べたように、いよいよ本格的な脚本執筆に入った私リーダー。これから完本（脚本が出来上がること。自己批判ショーでは笑いの要素を後から付け加える余白を持たせるため、7～8割程度書けた状態を指す）まで、このEG宣言は実践編として、「執筆日記」のようなものを書いていきたいと思います。リーダーの執筆状況を逐一つまびらかにすることで、多少なりとも日本の演劇（EG）作りに寄与出来ることがあれば幸いであります。もちろん逐一つまびらかにすることで、脚本執筆の遅れにブレーキをかける狙いもあります。己にプレッシャーを掛けるのが一大事業を乗り越えるコツであります。なお、執筆と平行して書くので、文章構成などを練る時間がなく、読者の皆さんに於いてはリーダーの頭に浮かんだ文章をそのまま打ち付けた状態で読まされることをお許し願いたい。まあ脚本の執筆の方が間違いなく大事なのだから、否も応もなくお許し頂けることと思う。さて、いよいよ本格的にスタートした自己批判ショーの新作執筆、現在は&quot;200個ほど溜まったアイデア（ネタ）をランク分けして整理している段階&quot;であります。詳細は後日述べるとして、今回はそのランクをとりあえず公開しておきたい。便宜上「ランク」と表現していますが、B～Cランクは上下の問題ではなく、カテゴライズに近いものとお考え頂きたい。＜Aランク＞○10年単位で斬新で有り続けるレベルのネタネタそのものを売り物にするような一般の芸人さんならば一生食えるくらいのネタのことです。これに関しては僕がいくら頑張ったところでそうそう思いつかないので、そのときの人生の状況や劇団員の精神的バックアップなどにもよりますが、一公演で3～5個くらい用意出来れば成功と言えるでしょうか。ただこれはあくまでアイディア段階の話で、その実力相応の笑いを起こすには演技と演出（キャスティング）の両方が上手くいかなければなりません。ただそれでも他のランクよりは断然上手くいきやすく、このレベルのネタならばお客さんが20人いれば笑いに渦巻きのようなものを発生させることが可能です。＜Bランク＞○公演の肝に据えるべき優れたネタこれは僕の頑張り次第で思いつくネタで最高レベルのものを指します。脚本そのものを構成する際には全体の半分くらいこのランクで占められるように持っていきます。Aランクの場合は僕が思いついたとかそういう枠を超えたものになりますが、Bランクのものは僕にしか思いつかないような、あるいは自己批判ショーにしかできないようなネタになります。＜Cランク＞○構造が斬新、毒を上手く取り入れられたなど、どこかいいところがあるネタネタの構造そのものを工夫するなど、自分にとって新たな試みが比較的上手くいった場合にはここにカテゴライズします。あとポリティカル（政治的）な要素を笑いに出来た場合もここに入れます。公演に含ませる分量は他とのバランスで決めますが、笑いの本質に最も近いカテゴリーなので全く無くすことはありません。＜Dランク＞○自分は大好きだけど、観る人によっては好みが分かれそうなネタ大体下ネタはここに位置づけます。Cランクのものもそうですが、下ネタなんかでも特別に上手くいった場合にはBランクにすることもあります。下ネタがAランクにはなりにくいのは、実はみんなにとってあまりにもポピュラーすぎる感覚だからだと思います。＜Eランク＞○それなりには面白いが、わざわざ自己批判ショーでやるべきかどうか判断に迷うレベルのネタこのランクのものが公演では一番ウケたりするのであなどれません。＜Fランク＞○ボツメモをとる段階で書きもしないレベルのネタです。脚本と言えるものを一行でも書き始める前に、溜まったネタを以上のようなランクに分けた上で構成をするのでありますが、その話はまた後日。よろしくEG！

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            <title>新章突入ご挨拶</title>
            <description>	久しぶりの「EG宣言」なのにいきなり関係ない話をするようですが、私は先日、映画「ハンサム★スーツ」を見てまいりました。いや、この時点では本当に無関係のようですが、最終的には「EG宣言、新章に突入」という流れになりますから、まずはお読み頂きたい。演劇の練習に最も必要なものは何か。それは我慢に他ならないのです。さて以前、「パコと魔法の絵本」を観たときに、その凄まじいとさえ表現出来る余りの演技力に、役所広司（敬称略））ばかりが印象に残ってしまい、「あれは「役所広司と魔法の絵本」だ」と評したことがありました。「ハンサム★スーツ」に関しては内容も非常に良く出来ていたことがあり、「あれは「谷原★スーツ」だ」とまでは言えませんが、私は観賞後、谷原章介（敬称略）の素晴らしさにすっかり感心してしまいました。あの谷原という人は確かモデル出身だったはずですが、あの演技力は一体どうしたことでしょう。今一応「どうしたことでしょう」と問いかけてみましたが、本当はわかっているのです。「演技そのもの」だけなら「コツ」でしかないので、谷原さん（敬称有）の場合はモデルから俳優に転身して以降、そのコツをどこかで完璧に近い形で掴んだ、ということなのでしょう。実際、私は邦画のスクリーンで、これほど演技の上手い人を久しぶりに見ました。この事実から、私はどうしても、自分が身を置いている小演劇界のことを危ぶんでしまうのです。谷原さんのようにモデルから俳優に転身する人がいる一方で、あえて小演劇で活動する、あるいは活動してからメディアに進出する俳優さんがこの日本にはゴマンといます。あの貧乏人生確定ともいうべき小演劇の俳優、あるいは小演劇出身俳優である、ということは、あえて下積みという修行を己に課したということに他なりません。人類の最下層と言えるほどの赤貧を己に課すほど荒行を志すその意志たるや立派だと、私も思います。しかし、谷原さんのような、モデルが出来るほどハンサムで、尚かつ誰よりも演技が上手い人に存在されたら、あえて下積みから上がってきた俳優なんか不要に決まっているのではないでしょうか。だって、下積みなどしなくても谷原さんくらい演技が上手くなれるという証拠が実際にあるのですから。しかも、小演劇の中でも比較的ルックスがよい、とされる俳優さんなどよりももっとハンサムなのです。勝ち目無し。そう言いきっても誰も私を怒りはしないでしょう。まあ、怒られたところで知ったこっちゃ無いのですが。だから、そろそろ小演劇の側も、「演技なんてコツでしかない」ことを認めてしまわないといけないと思います。そんな、金を取ってワークショップ開いて教えるほど難しい事じゃないんだと。私は何も、ワークショップ等を否定するのではありません。そんなことを言ったら本コーナーを連載する己を自己否定する事になってしまいます。私が言いたいのは、ワークショップで演技のスキルをさも有り難い物のように教えるのではなく、「演技はコツだから、先生である私と貴方は現時点で同レベルである可能性もあるんだよ」という前提を教え、その上で、俳優に必要な「その先」のことを学ばせるべきなのです。私は表現のフィールドとして「あえて小演劇を選択している」ものの一人です。その、自分が誇りを持って活動している場において「本当はそんな必要のないことを金を取って教えている」というような詐欺まがいの行為を看過することは出来ない。そもそも、「本当は金を取る必要がない」ということが解らないような先生に一体演技の何が教えられるというのでしょうか。これが、私が20代そこそこで、小演劇から何かにのし上がろうという野心があり、そのための色々なしがらみがある立場であれば口をつぐんでいるのかも知れませんが、幸か不幸か（恐らく不幸でしょうが）私は現在36歳で、守るべきものなど何もなく、誰に何を怒られようが「そんなこと知るか！」と半ケツの一つでも出して嘲笑える立場にいます。そういう立場に常にいたいから小演劇を選んでいるのです。3ヶ月連続ライブ、客演なども一段落した今週以降のEG宣言は、「実践編」と題して、「自己批判ショーの本公演までの準備」を題材に、作・演出家である私の手の内を全て明かすことで展開していきたいと思います。一回の公演ごとに私自身も学んでいるので、そうした流れもお見せしながら、「俳優に必要な演技の「その先」」を、皆さんと学んでいきたいと考えております。よろしくEG！

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            <link>http://www.zico-hihan.com/modules/wordpress3/archives/2008/11/24/post-34/</link>
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            <title>合同企画「リーダーズギキョクキャンプ（3）「ポニョの下の崖」」</title>
            <description>	みんな、「崖の上のポニョ」観たか？いやな、何でこんな事をいきなり言うのかっていうと、前回学んだ、43、演劇の基本は、2時間＆三幕構成がどうしてそうなのか、ってことを説明するには、、2時間＆三幕構成を採用しなかった（あるいは効果的に使えなかった）失敗例をあげて説明するのが一番効果的だと思ったんだ。で、その題材に最適で、かつ最近じゃ最もみんなが観てるだろうってことで今回は「崖の上のポニョ」を例にとって2時間＆三幕構成の重要性を学んでいこう。おっと、だからって何も「ポニョ」の悪口を言おうってんじゃないぜ。オレだって金払って観に行ったくらいなんだから、楽しみにしてたし、単純に、宮崎アニメの最新作を観た、って意味じゃ楽しめたぜ。だけど、これはオレだけじゃなくてみんな思ったんじゃないか？「え？これで終わり？」ってな。そう、あの映画は明らかに短かった。あとで調べたら1時間30分くらいだった。まあ世の中には1時間30分くらいで済む劇作品もあるんだぜ。だけど「ポニョ」はポニョと主人公の男の子との出会いと成長の物語であり、それぞれの登場人物（結構多かったよな）に背景があり、ちょっとしたどんでん返しというかひねりも何カ所かあっただろ？最初から1時間30分に収まる内容じゃなかったんだ。ちょっと具体的な話になっちゃうけど、クライマックス前あたりで、フジモトって男に、海の底みたいな所に連れてかれそうになるポニョをトキっておばあさんが必死になって止めるシーンがあっただろ？でもあれ、何で止めようとしたんだか良くわかんないし、そもそも何でフジモトとトキさんが敵対してんのか良くわかんなかっただろ？それは当然だよな。だってその理由を示すシーンが無かったんだから。そう、「ポニョ」には、そういう、登場人物の背景なんかを表現するシーンが、ちょうど30分ぐらい不足してたんだよ。何でそうだったのかは良くわからない。あれだけ経験豊富な監督だから、もちろん劇の基本が2時間＆三幕構成だと知っていて、あえてそれを採用しなかったのかもしれない。良くあるんだけど、あえてストーリーをわかりにくくする（つまり三幕構成（を知っていても知らなくても）を採用しない）ことで、作品の芸術性を高めようとするケースも考えられる。だけど、もしそうだとしたら、単純にもっと登場人物を少なくすればいいし、その背景や人間関係も希薄にしてしまえば良いんだけどな。表面的なことだけ盛りだくさんで、背景描写が抜けてるんじゃ、ストーリーなんかそもそも無くてもいいし、極端に言うと主人公がポニョじゃなくてもいい、って話になっちまう。ああなった理由がはっきりしないから、オレは、何かビジネス上の問題が裏にあったのかもしれない、って思ってるんだけどな。映画産業においては良くあることなんだ。もしかしたらもっと単純に、時間が足りなかったのかもしれない。確かなのは、あの映画が最も基本的な脚本技法を、何の理由か半ば無視してあるってことだよ。もう一度言うぞ。43、演劇の基本は、2時間＆三幕構成この仕組みが理解出来ていれば、どんな劇作品を観ても、健全な批評が出来るようになる。例えば、2時間より極端に短ければ、そこまでの劇的な出来事が起こらず、登場人物もその背景も少なめの作品だろう、ってことが観る前にわかる。それと、これはあとで学ぶけど、三幕構成を理解していれば、少なくとも「この脚本（劇作品）は、基本を外しているのかそうでないのか」って事がわかるんだ。劇作品の批評ってのは、上に挙げたことを踏まえた上で「じゃあ、どうしてそうなのか」ってことから始まるんだ。次回も、2時間＆三幕構成について学んでいくぞ。しつこいと思うかもしれないけど、もしかしたら演劇で一番大事なことかもしれないから、ついてこい！みんな！最後まで良く頑張った！1,2,3,ヴィクトリー！

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            <title>合同企画「リーダーズギキョクキャンプ（2）」</title>
            <description>	41、小説と戯曲の最大の違い、それは、時間の制約の大小この41は前回の結論だったよな。今回のギキョクキャンプは、この結論を踏まえて、演劇に時間がどうしてそこまで大切なのか、戯曲執筆の面から学んでいくぞ。その前提として、これまで時間に関して述べたことで脚本執筆に関係ありそうなことを、お馴染みの緑大字で復習しておこう。15､演劇に限らず、劇作品の相場は2時間17､演劇の2時間の中には、それぞれの時間帯に役割がある18､脚本家とは、2時間の中の、時間帯における役割の設計図を書く製図家大体こんな所かな。戯曲を学ぶと、これらがどうしてか、その理由が明らかになるって寸法だから、ついてこい！さてその理由だが、一言で言うのは簡単だ。というか、もう何度も言っていることなんだ。１、演劇（EG）とは時間と空間をコントロールする総合芸術であるからだな。これを、今回のテーマにふさわしく言い直してみよう。42、演劇とは、時間と空間の制約が必ず存在する芸術であるこれは意味としては解って貰えると思う。日常生活においても&quot;無限の時間&quot;とか&quot;無限の空間&quot;なんてのは有り得ないわけだからな。で、何で時間においての制約がそんなに大事なのか、つまり何で演劇に限らず、劇作品の相場は2時間って決まってるのかって言うと、それはオペラとか能とかから始まった（本当はもっと古くからだろうな）演劇の歴史の中で、これが一番「生理的に、人間が劇作品を鑑賞出来る適度な時間」だと割り出されてきたからなんだ。その結果、戯曲の用語でいう「三幕構成」が生まれた。これはどういう事かっていうと、42、演劇とは、意識的であれ無意識的であれ、表面的にそう見えても見えなくても三幕構成ってことなんだ。自己批判ショーでいえば、ミュージカル路線が始まった「koga map」からは全部三幕構成だ。全部表面的には三幕じゃないんだけど、構成として三幕になっている、ってことだな。「コントくん」なんて8話あったけど、本当は三幕構成だったんだ。43、演劇の基本は、2時間＆三幕構成これは特に大切だから、肝に銘じておいてくれ。もちろん、基本だから応用も例外もあるぜ。もちろん3時間を超える演劇だってある。ただそれでも、基本は基本だから、例え3時間の演劇であっても、2時間の演劇を作るように作るってことなんだ。言い換えれば、例え3時間の演劇で、三幕構成を意識せずに（あるいは知らずに）作ったとしても、実は演劇は2時間＆三幕構成における完成度で決定してしまっている、ってことなんだよ。次回はそのあたり、しっかり学んでいくぞ！みんな！最後までよく頑張った！1,2,3,ヴィクトリー！

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            <link>http://www.zico-hihan.com/modules/wordpress3/archives/2008/09/29/2/</link>
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            <title>合同企画「リーダーズギキョクキャンプ」</title>
            <description>	やあみんな！LEADERだ。今回からは特別講習って事で、脚本、得に戯曲執筆を学んでいくぞ。戯曲は文学だ。ってことで、オレLEADERが「リーダーズブンコキャンプ」から特別講師として招かれたぞ。「EG宣言」と「リーダーズブンコキャンプ」の合同企画って事でひとつよろしくな！さて、オレはもちろん普段「リーダーズブンコキャンプ」の隊長なわけだが、自己批判ドットコムみたいな演劇のサイトでどうして本（小説）を読むのを勧めてるかっていうと、40、脚本（戯曲）は、それそのものだけで独自の発展をしていないからなんだ。これじゃ何だかわかんないか？つまりな、戯曲ってのは、（舞台で上演される目的で書かれた）戯曲の存在だけで進化しているわけではないって意味だな。たとえば、80年代に活躍した戯曲家は殆どベケットの「ゴドーを待ちながら」に、直接間接に関わらず何らかの影響を受けてると思うけど、「ゴドー」ってのはカフカという作家無しには生まれ得なかった作品だ。こんなふうに、戯曲ってのは文学の発展に寄り添って存在しているわけだな。戯曲だって文学だから当たり前と言えば当たり前なんだけど、演劇だけをやったり観たりしていると、その当たり前のことを忘れがちになっちまうんだ。この事実は、観る側からは作品の善し悪しの判断に役立つ。例えば、ある演劇を観て、どんな文学の流れにもあてはまらないような作品に感じたなら、それですでに&quot;ものすごく画期的な作品&quot;か&quot;勉強不足の産物&quot;かの二択に絞れるわけだ。何だってそうだけど、演劇の勉強は演劇だけ観てりゃいいってもんじゃないよな。戯曲が文学の範疇にあるもんなら尚更だろ？だからわざわざコーナーまで設けてブックリードの訓練を勧めているわけだ。もちろん、普通の文学（小説）にはない戯曲ならではの特徴もあるぜ。当たり前だけど、それが&quot;劇の上演の為に書かれてる&quot;ってことだな。だから、小説と戯曲の最大の違いを考えてみることで、戯曲ならではの執筆技法、書くテクニック、あるいは(俳優の立場では)戯曲を本格的に読む技術が学べるって寸法だ。オレが考える、41、小説と戯曲の最大の違い、それは、時間の制約の大小またここにも時間がでてきた。このEG宣言じゃ主に時間の側面から演劇にアプローチしてるよな。それが何でかっていう理由のひとつがこの41なんだ。次回以降は演劇に時間がどうしてそこまで大切なのか、戯曲執筆の面から学んでいこう。みんな！最後までよく頑張った！1,2,3,ヴィクトリー！

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            <link>http://www.zico-hihan.com/modules/wordpress3/archives/2008/09/10/post-31/</link>
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            <title>継続はカなり</title>
            <description>	本日は前回に引き続き、演劇の基礎練習を行う上での留意点、特に今回は最大の注意点をご説明致しましょう。演劇日常基礎練習の基本として位置づけて頂きたいのは、3215の呼吸法であります。何故ならこれは、効果的というだけではなく、やっているのが周囲の誰にもバレないからです。３９、演劇の基本練習の基本は、基本練習をやっていると周囲にバレないことなのです。ですから、私が俳優を始めたばかりの頃のように、河原などで大声で発声練習などしては絶対にいけません。ましてや往来でエチュード練習などもってのほかです。エチュードという練習そのものでさえ、まず一般の方の目に触れさせてはいけないかなり特殊な行為である、と肝に銘じておきましょう。さもないと犬の散歩などをしている普通のお父さんなどに怪しまれ、悪くすると通報される事態に発展します。やってしまってからでは遅すぎます。その前に世間一般の視点とはいかなるものかを思いだし、一目で「おや、あの子たちは演劇の練習をしているんだ、若いのに感心だねえ」などと思ってくれるはずがない、と強く心に刻み込んで頂きたい。それに、通常は発声練習は呼吸法の練習で充分だからです。まずは呼吸法を癖になるほど、習い性になるほど身につけることを心がけて下さい。変な癖がつくと完治出来なくなる恐れがあるので、独学での発声練習はお勧めしません。常にやれば呼吸法で充分です。あとはこれまでに紹介した基礎練習である、四股や肩胛骨の柔軟、平均台、逆探知法などをＴＰＯに応じて、また前回紹介した姿勢を正しくする工夫などを、周囲に変な奴だと思われない程度にやれば、早い人で１年内には演技の何たるかが体感出来るようになるでしょう。私が何故、周囲に変な奴だと思われないようにするのをクドクドしく推奨するかというと、演劇をやっているというだけで人類のゴクツブシだと思われがちなうえ、変な奴だとまで思われては、いつまで経っても俳優の社会的地位向上は望めないからです。演劇でなくても何でもそうでしょうが、お金の稼げない仕事に従事するには周囲の協力が不可欠です。まず自分がイッパシの社会人であり常識人であること、劇団や演劇ワークショップは自己啓発セミナーとは違うのだ、ということを流布する努力を怠っては、円滑な演劇活動は望めないのです。１３、基礎練習は、いつでもどこでもやるし出来るから基礎練習ということを強く認識した上で、毎日、癖になるまで、習い性になるまで継続することを心がけましょう。最後に、今回のタイトルの「継続はカなり」の「カ」が、「ちから」という漢字ではなく、カタカナの「カ」である、という重大な事実をお伝えしておきたいと思います。次回からは新たな練習法をご紹介しましょう！よろしくＥＧ！

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            <link>http://www.zico-hihan.com/modules/wordpress3/archives/2008/08/09/post-30/</link>
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            <title>貧乏と猫背をなおせ</title>
            <description>	演劇＝貧乏もしこれをお読みの貴方が赤字で記したようなイメージを持っているとすれば、貴方は一定の観察眼を持った方でしょう。実際、私の周囲にも、古事記の人たちとの違いは家の有る無しだけ、というほどの生活をしながら「でも、いずれプロの俳優になる夢を叶えるんだ」と口には出さずとも（実際目の前で口に出されたら迷惑ですが）そうした志を胸に抱き、演劇をしながらアルバイトや派遣社員でようよう食いつないでいる方々が大勢います。私は色々な人に怒られるのを覚悟の上で、また怒られたところで知ったこっちゃねえという思いも抱きつつあえて言いたい。現在の演劇状況の中で演劇をやっているうちは永遠に貧乏のままであると。それは何故かというと、アマチュアだから（売れてないから）貧乏なのではなく、演劇そのものにお金がかかりすぎるからなのです。原因は色々ですが、その真実を全部書こうとすると一冊の本が出来てしまう上、万が一それが世に出ようものならいろいろな人に怒られてしまうので、怒られたところで知ったこっちゃねえという思いも抱きつつ別の機会にさせていただきます。そのように色々お金がかかる演劇ですが、その中に「稽古場代」なるものがあります。我々のような地方劇団であれば、自治体が運営する公民館等を借りるのでジュース代ほどで済むのですが、普通の劇団はおそらく一回の稽古でジュース代の10～30倍ほどの金額を支払っていることでしょう。劇団員全員が集わねばならないような内容の稽古（通し稽古など）であればやむなしですが、そうではない、例えば基礎練習などでも同じ金額を払わねばならないのです。常にやるから基礎練習なのに、その常に何千円も払っていたのでは、貧乏も道理でしょう。私とて演劇界の末席にいる以上、演劇をやっているかぎり一生貧乏、というこの現状に一石を投じたい。特に、絶対誰かに怒られるのを覚悟の上で、また怒られたところで知ったこっちゃねえという思いも抱きつつ言いますが、貧乏劇団の演劇ワークショップに参加しただけで「稽古場代」なる名目で何千円もボラれる状況にも一石を投じたい。せめて基礎練習くらいはタダで、つまり日常の生活の中でやれるようにしたい。常々腹に据えかねていることなのでついつい長くなりましたが、以降数回にわたり、演劇の基礎練習を日常に取り入れる、名づけて演劇日常基礎練習の方法を紹介していきたいと思います。今回は紙面が尽きてしまったため、手始めに姿勢の矯正と、腹筋、そして背筋を鍛える立ち方と歩き方、名づけて姿勢の矯正＋腹筋＋背筋を鍛える立ち方＆歩き方をご紹介しましょう。皆さんの中で、猫背（ネコーゼ）に悩まれている方はいらっしゃるでしょうか？猫背の矯正法として、背筋を伸ばす、ということはよく言われます。しかし背筋をずっと伸ばしているのは意外と大変です。気をつけていてもすぐにまたもとの姿勢に戻ってしまうでしょう。それは何故か。実は猫背の多くは、背筋が曲がっているというよりは、手のひらが後ろに向いてしまっているからなのです。試しにやってみてください。普通に立っているときや歩いているとき、手のひらを前に、ちょうど握手をするときのような感じで若干前に向けてみる。すると、自然身体が真っ直ぐに起き、腹筋で支えるようになります。そうやって歩くと、握手をするような感じなので、何となく誰と会っても「やあやあ」みたいな感じなオープンハート的に振舞えるような気もするのではないでしょうか。そういう（心を開く、というような）精神面も、演技の上では大切なのです。これは腰痛にもいいので、腰の痛みに悩まされている女性なども試していただきたい。次回以降、姿勢の矯正＋腹筋＋背筋を鍛える立ち方＆歩き方も含めた演劇日常基礎練習の詳細を解説していきたいと思います。また来週！よろしくEG！

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            <title>生きるために呼吸しろ！</title>
            <description>	人は呼吸をやめるわけにはいきません。死んでしまうからです。世の中にはその事実を利用して、意図的に人の呼吸を止めようとする悪い人もいますが、そんなことまでされるまでに人から恨みを買うことさえなければ、人はいつまでも呼吸を続けることができます。どうせ一生付き合うものなら、もっと深く知り、活用していこうではありませんか。私は呼吸のことを深く考えるようになってから「その問題、深く呼吸をすれば解決するのに」と感じる場面に度々遭遇するようになりました。たとえば階段を登るって息がゼーゼーする。すると皆さん「あー、年取ったなあ」「運動不足だなあ」などと残念そうにつぶやきます。しかし私には、それは年齢や運動不足が主な理由ではなく、息を止めたまま階段を駆け上がったりするのが原因に思えます。息を止めて普通に歩く局面すらそうないのに、階段を登るという運動を強いられた時に息を止めてしまってはつらいに決まっています。血圧も上がってしまうので良いことはひとつもありません。試しにやってみてください。階段を上がる一歩ごとに「ハッ、ハッ」とマラソンのときのようにリズム良く呼吸（このとき、身体（特に肩甲骨）の力を抜いて上下するように）する。すると、流石に全く息が上がらないことは無いでしょうが、ゼーゼーは大分軽減されるのではないかと思います。それと、近年の傾向として、良く他人に対して「ムカつく」などと連呼する人がいます。そういう人を見るたび「そんなこと言ってる間があったら深呼吸すればいいのに」と思います。ムカついたことをことさら声に出して「ムカつく」などと当然のことを言ってみたところで人生において何かが改善されるはずはありません。皆さんも日常で&quot;ムカつく&quot;局面があったらこれまでの解説を参考に3215方式を試してみると効果的でしょう。だいぶ気分が和らぎ、集中力も増すため、「完璧な人間などいない」という当たり前の事実を思い出すゆとりが生まれることと思います。3215方式は、公務員試験など人生の大勝負に打って出るとき、好きな人に会う前、嫌な人に会う前、などなど、何か緊張を強いる作業の前に行うと効果的です。呼吸法が発声法の下支えになることは先に述べたとおりですが、究極的には、舞台などの緊張を強いる局面でリラックスして望む、また俳優に最も重要である&quot;脱力&quot;へと身体を向かわせる基礎ともなります。呼吸法はかように重要である上に、いつでもどこでも強化ができるものです。3215方式などは練習していることが周囲に気づかれにくい、すなわち他の演劇の稽古に比べて他人に見られても全く恥ずかしくないものです。ですからまずは呼吸法を日常行う演劇の練習の基本にしていただきたい。3215方式を日々の生活に常に取り入れた上で、他の、比較的他人に気づかれにくい練習を常に行う。これが演技力上達のコツと思います。来週はそのあたりのこと、つまり日常生活でどうやって演劇の練習を続けていったら良いのかをお話したいと思います。また来週！レッツ呼吸！よろしくEG！

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            <link>http://www.zico-hihan.com/modules/wordpress3/archives/2008/07/07/post-28/</link>
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            <title>さあ、吐いちまいな</title>
            <description>	皆さんは呼吸をするとき、どんなことを考えていますか？お読みの方全員の「何も考えてない」という声が聞こえてくるようです。確かに、生まれてからこのかた、死んだ経験がない限り呼吸を欠かした事がある人はいないわけで、おのずと呼吸なんかもう慣れっこになっているでしょう。しかし俳優さんにおいては「何も考えないで呼吸する」なんてことは言っていられないのです。今取り上げている3215方式は、「呼吸の意識化」の練習と言い換えれることができます。とりわけ、吐くときにこそ呼吸の意識化の肝がある。今回は15秒で吐く、それを意識する、その詳細を解説していきましょう。私は前回、3215方式の&quot;2&amp;Prime;の部分、すなわち吸った息をキープすることを「短距離走や水泳の飛び込みの前の&quot;よーい&quot;のようなもの」と言いましたが、そこから&quot;よーい、どん&quot;の&quot;どん&quot;の部分に入ります、すなわち15秒で吐く部分です。またあの、ヘタさを狙ったくせに微妙に巧いようなそうでもないような感じになってしまって気恥ずかしいあの図をごらんいただきましょう。図の黒丸の部分、ここが丹田（TANDEN）という、吸った息を送り込んでキープするポジションですここに腹筋を使って息を送り込み、腹筋を使って丹田にキープすることは前回お話したとおりです。では吐くときにはどうするか。そう、吐くときもこの丹田で捕らえた意識（ポジショニング）を離してはいけないのです。吐くときもあくまで、&quot;よーい&quot;のときに腹筋を使って捕らえたこの黒丸（ポジション）から意識を離さない。よーいの状態のまま、口をすぼめ、細くフーッという感じで15秒吐くのです。この、ポジションを捉えて離さない、という意識は、逆探知法のときの力の抜き方とほぼ同じだと思っていただきたい。捉えるポジション（＝身体的な作業）の違いだけなのです。TANDENポジションから意識を離さないで15秒吐ききったら、また3秒吐いて、2秒キープ…というように、これをできれば6回が1セットで行います。これは、おそらくこれをお読みの方で発声練習をしたことがある方もいるかと思いますが、はじめのうちは15秒も、ましてや1セットは苦しくて出来ないと思います。しかし出来ないからといって落胆する必要はありません。発声練習と呼吸の練習は別物だからです。いや、本来であれば一緒なのです。といいますか、呼吸の練習があって発声練習がある、つまり一繋がりの練習でなければならないのです。この3215方式は、正しい発声練習の下支えを作っている、と考えていただきたいのであります。跳び箱の1段目が2段目の上に来ることは無いように、物事には段階があります。発声練習をする前に、この3215方式を日常に組み込むことに成功させること、これが俳優としての上達の早道であると理解していただきたい。来週は呼吸法の総論をお送りします！ではまた来週！レッツ呼吸！レッツEG！

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            <link>http://www.zico-hihan.com/modules/wordpress3/archives/2008/07/04/post-27/</link>
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